やがて確実に訪れる〈肉体の死〉を待てずに、その気持ちを抑えられない時。
その思考や感情と、どのように向き合えば良いのでしょうか。
本当に「死んだほうが楽」なのが、事実なのでしょうか。
事情は人の数だけありますので〈共通の対処〉で示すことは困難です。
EGO(自我)といった点で見てみましょう。
「死んだほうが楽」という思いから離れられない場合。
あなたは、自分のことを「EGO そのものだ」と捉えている傾向があります。
EGO とは〈思考の全て〉と捉えてしまって構いません。
「死にたい」という思いに限らず、あらゆる思考は EGO です。
日常を無意識に過ごすと、殆ど EGO と同化しています。
- 思っていること = 自分
- 考えていること = 自分
このようになっている場合の〈無意識な自分〉が、まるごと EGO です。
EGO は様々な欲求に溢れています。
実は「死にたい」と思うのも欲求の1つです。
そして、欲求は必ず〈対〉になっています。
〈死にたいという欲求〉の対には〈安全欲求〉があり、それは表裏一体です。
安全欲求とは「安心したい、生存したい」という思考。
〈対〉は天秤のようにバランスを取ろうとするので「今すぐにでも死にたい自殺したい」の反対側には、同じように「今すぐにでも苦悩を解決して安心したい」という強い欲求が存在するのです。
〈◯◯したい〉という思考は、全て EGO です。
良い/悪いではありません。
ただの特性であって、それ以上でも、それ以下でもありません。
ですので「死にたい」とか「安心したい」という欲求があっても、それは EGO の特性によるところであって、あなたが悪いわけではありません。
EGO からしてみれば〈◯◯したい〉が維持されるだけで、EGO 自身が存続されるので、目的が達成されるのです。
これは重要なポイントです。
- 「死が達成されること」や「安心が達成されること」が EGO の目的ではありません
- 「死にたいと思うこと」や「安心したいと考えること」自体が EGO の目的です
なので「達成されるか否か」は EGO にとって全く重要ではないのです。
たちが悪いですが、これが EGO の特性です。
〈普段の無意識な自分〉が EGO なら、逆に《そうではない自分》というのは居るのでしょうか?
もちろん居ます。
それこそが『本来の自分』です。
- 「死にたい」← EGO です。本来の自分ではありません
- 「自殺したい」← EGO です。本来の自分ではありません
先に述べた通り「◯◯したい」は全て EGO です。
本来の自分ではありません。
『本来の自分』は「◯◯したい」という思考ではありません。
「◯◯したい」と思考する自分……に気付いている自分が居ませんか?
「そんなの見つからない」と思う自分……に『気付いている自分』が居ませんか?
「さっぱりわからない」と考える自分……に『気付いている自分』が居ませんか?
特別なものではありません。
当たり前のもので、当たり前過ぎて、見逃してしまっているのです。
気付いている自分に、気付いてみましょう。
意識を、意識してみましょう。
そこには、何かが確実に存在していないでしょうか。
あるいは EGO が遮って、気が付きにくくしているかもしれません。
「死んだほうが楽」と EGO が囁いているのかもしれませんが、ただそれだけです。
その囁きが成されることで、EGO は目的達成しています。
放っておきましょう。
放っておけない場合は、距離を置いて見てみましょう。
この記事を『死にたい自殺したい気持ちとの向き合い方』と題しました。
気持ちと『向き合っている』のは、果たして誰でしょうか?
死にたい自殺したい気持ち = 思考 = EGO
それと『向き合っている』のは……?
まとめ
- EGO を無くそうとなどとはしないこと
- EGO を無くそうとするのも EGO になる
- ただ「そういうものなんだ」と放っておくか、距離を置いて見る









